こんばんは。アオギリ@aogiri_blogです。
当ブログではいつもは日常で役立つライフハックなんかをお伝えしています。
ただ、管理人のアオギリが「君たちはどう生きるか」を見に行ってきたところ、なんとなくまとめておかないといけない衝動に駆られてしまいました。
いつものジブリ作品にはない引っかかりというか、投げっぱなしというか……
「これ子供見てもわけわからんくね?」と感じたのが始まりです。
見終わった後色々考察サイトを回ったり考えてみたりしたのですが、スッキリ腹落ちしませんでした。
本記事では特に気になった謎を、自分なりに嚙み砕いて解釈してみようと思います。
当然ネタバレを全力で含んでいますので、まだ見ていない方はブラウザバックをお願いします。
今日のもくじ
下の世界で遭遇した、「我ヲ學ブモノハ死ス」という文言の意味とは?
この文言が出たあたりから、難解さが増していったように感じています。
この文言は眞人が「下の世界」に落ち、たどり着いた島のようなところで発見した門に書かれていました。
で、この文なんですけど、日本語として意味が分からなくないですか?
ChatGPT君も「そんなものは分からない」と言ってます。
あと、めちゃくちゃ勉強しろと言われました。落ち着け。
「我」とは何か。學んで死ぬというのはどういうことか。なんのメッセージなのか。誰に宛てたものなのか。
そもそも、あの門は何なのか?ペリカンはどうして眞人を押したのか?
門やペリカンの解釈は置いておいて、アオギリとしてはこの文言がとにかく気になってます。
学ぶこと、知識をつけることが死に近づくということは一体どういう現象なのでしょうか。
一般的な事象は、知ることで危険を回避することが出来ると言っていいはず。
知ることで死に近づく。と言われた時に、元ねらーのアオギリとしては、洒落怖を思い出しました。
知ってはいけなかったことを知ってしまうことで、この世ならざる者に狙われ、襲われ、死んでしまう。
「学ぶ」というのは、知ってはいけないことを知る、ということでしょうか。「危険な好奇心」という話ありましたね。
勿論この類の話は日本だけでなく世界各地に伝承として、あるいは洒落怖のようにネットで生まれたりしているはず。
何がモデルという具体的なものはないでしょう。
しかし、門に書くのであれば、「通る」という動詞を使えばよかったのではないでしょうか。
通ったら死ぬではなく、学んだら死ぬ、という表現にあえて言い換えている点から、「下の世界」の構築者、あるいは宮崎駿監督の何かしらの意図は絡んでいそうです。
では、どういったメッセージだったのか。
「死」という単語を使っている以上は、強い拒絶の意味は間違いなくあるでしょう。
であれば通るではなく、学ぶという言葉を使った理由は、きっと宮崎駿監督の優しい警告なのだと考えました。
深くまで知識に身を落とすと、破滅に繋がるのだと。死につながるのだと。
「通る」程度ではなく、「学ぶ」までいってしまうと、最早後戻りできない「死」という結末へ向かってしまうのだと。
この時点では何についての知識なのかはさっぱりわかりませんが。
眞人の急な自傷行為の謎。結末へとつながるあの自傷行為は何が引き金となり、悪意の印となったのか。
映画の序盤、眞人が学校から帰る際に子供たちと小競り合いになり、最終的に自分の頭を石で殴りつけ、自傷行為に至ります。書いてて意味が分からない。
あのシーン、病院に勤めるものとしては「流石に頭からこの出血量は死なないか?」とは思いましたが、まぁそれはいいでしょう。
しかしながらこの自傷行為というのはあまりに唐突で、あまりに激しいものでした。
リストカットを始めとする自傷行為ですが、やってしまう心情として「構ってほしい」「自分を見てほしい」という意識がよく挙げられます。
まさに眞人がこの状況でした。
前日には遅くに帰ってきた父親が母親とよく似ている全然知らない女とチュッチュしてるし、新しい学校では馴染めずに、帰り道には突っかかられる現実。
きっと自分を見てくれる人はいないというか、もうわけがわからない状況になっているでしょう。
しかし話はここで終わりません。例えばこれが馴染めなかった学校、同級生への腹いせだけなのであれば、息巻く父親に適当な嘘を吹き込めばよかったのです。
でも眞人はしなかった。あくまでも自分で転んだのだと主張します。それが誰がどう見ても転んでつく傷跡ではないというのに。
翌日以降も本当のことを話すことはありません。最後の最後まで、真実は他の人に明かされることはありません。
そして眞人は最後の最後にようやく、大おじに真実を話します。
というか、「この傷は悪意の印だ」と、お願いを断ります。
体よく断ったといえばそれまでですが、このことはおそらく、眞人がずっと気に病んでいたことなのだと思います。
自分の独善的な発想で多くの人を心配させ、迷惑をかけてしまったこと。
このことを、眞人は「悪意」と呼んでいるのです。
また、治療を終えた後父親は、「ハゲが残るかもな」という言葉を口にしています。
つまり眞人が悪意と呼び、気に病んだその行動の印は、ずっと残り続けるかもしれないということに他なりません。
であればきっと、そんな悪意の「印」が残り続ける自分が、悪意のない世界のバランスをとるようなことは出来ないと思ったのでしょう。
インコの大王は、その考えを「裏切り」だと呼んで積み木を崩してしまいましたが……
鳥たちを何故あそこまで非魅力的、言ってしまえば気持ち悪く描いたのか。
この映画でよく登場したのが、鳥たちです。
蒼鷺から始まり、ペリカン、インコと続き、インコにいたっては世界が出来上がっているほど大量に出てきました。
ジブリといえばどこか可愛い動物たちが仲間になったり、多く出演することが多くあります。
- 魔女の宅急便
- となりのトトロ
- 千と千尋の神隠し
- 風の谷のナウシカ等々…
特に千と千尋の神隠しであればあれだけ大きく敵のような扱いだった「坊」が小さいネズミになったり、カオナシですら最後は何故かキモ可愛いような存在になってました。
しかしこの映画では、徹頭徹尾怪しい、気味の悪い、怖い存在として描かれていました。
蒼鷺は仲間にはなりましたが、まぁ正直見た目キモイですし……中身おじさんですし……
また、鳥の糞をしっかり描写していたことも驚きました。こんなしっかり描写している映画逆にこの映画くらいでは?
宮崎駿は動物が嫌いということは今までの作品を見てもないと思いますし、この映画が異質だと断言できます。
今までと違う動物の描き方からも、何か特別な意思を感じざるを得ません。
やはりそこには、動物を、鳥を、何か別のものに見立てていたではないでしょうか。
あと、この動画めちゃくちゃ面白いので是非聞いてみて下さい。
この動画では、恐山さんが「鳥は動物的な本能の象徴」と表現しています。
であれば鳥は言ってしまえば、「餌をくれ餌をくれと騒ぐ存在」。あるいは原宿さんが言っているように「世界に巣くう存在」「勝手に増える存在」でしょう。
つまり、宮崎駿の世界に増えてしまった存在を表しているのではないでしょうか。
この考察をし続けるとブログ1記事どころではおさまらないのでこのあたりにします。
何故この作品は、分かり辛い、難解という評価が多いのか?宮崎駿が考える、「君たちはどう生きるか」という問いについて。
この作品を起承転結に起こしてみれば、
- 母親が火事で死に、数年後再婚相手のナツコの家に父親とともに引っ越す。
- 謎の蒼鷺と出会う。突如ナツコが行方不明となり、彼女を探すため別世界へと落ちていく。
- 「下の世界」で蒼鷺やキリコと再会し、火の魔法を使う謎の少女、ヒミと出会う。
- 世界の均衡を保っていた大おじと出会う。その後を継ぐことなく、眞人はナツコや蒼鷺と元の世界に帰る
こんな感じでしょうか。
「転」「結」が唐突すぎてパニックだと思うんですけど、それゆえその点が今回の映画の評価に繋がっているのだと思います。
そもそもジブリは世界観、ストーリーについての説明が毎回されるかというと、そういうわけではありません。
だからジブリについての考察が絶えないわけですしね。
千と千尋の神隠しでも、急にハクに「ニギハヤミコハクヌシでした!」と言われても、今まで伏線が張られているわけではなかったじゃないですか。え?なかったよね?
でも、千と千尋の神隠しは不朽の名作として今も評判が高い。
しかし今回、君たちはどう生きるかは中盤からの情報量があまりに多い。そして分からない。
きっとこの作品が抽象的で、それでいて示唆に富んでいたからではないでしょうか。
そしてその全てを噛み砕くためには、宮崎駿がこの映画を撮ることになった二冊の本を読む必要があります。
それがこの「君たちはどう生きるか」の原作。
そしてこの「失われしものたちの本」です。
宮崎駿はこの2冊にインスピレーションを受けてこの映画を製作したようです。
読んだ後に映画を見ると、また違う印象を受けたり、新しい発見があるのかもしれないですね。
2冊は電子書籍になっていないので、アオギリは本を買って読んでみようと思います。
漫画では電子書籍が出ていますが、原作も触れてみたいです。
結論をまとめてしまうと、この映画は「君たちはどう生きるか」という問題提起よりかは、「君たちはどう生きるか」という問いに対する宮崎駿のアンサーだったのではないでしょうか。
今まで映画というものにずっと向き合ってきた宮崎駿が、今の創作現場の状況、ジブリ映画への思い、後継者の問題を考えたうえでの作品だったのかもしれません。
宮崎駿が、どこまでも自分の考えをぶちまけたような映画。
だから難しいし、読み取るまでに何回も咀嚼する必要がある、ですがどこかジブリらしさというのがふんだんに詰め込まれている映画だと思います。
アオギリとしては、なんとなく自分の中で噛み砕いた後は、やっぱりいい映画だったのかもしれないと、後からじんわり感じるような映画だとアオギリは感じました。
君たちはどう生きるか。
アオギリはとりあえず、可愛いインコ動画を毎日見て癒されたいと思います。